2010年09月29日
行方不明のBONBON
Bonjour !
今日は朝から諸事情あって大物洗濯を3回もしなくてはなりませんでした...
物干し竿には白いシーツや布団カバーが気持ち良さそうにはためいています。
明日は雨らしいので、念を送る。 乾け~乾け~
さて、今日は「グランマと失われたボンボン」について。
うちの祖母は現在80とウン歳ですが、まだまだ元気でプールに行ったり編み物教室に行ったり、毎日アナナと遊んだり「鬼平犯科帳」観たり..と楽しく暮らしています。
その祖母に何度か聞いた思い出のお菓子の話。
戦前の話ですが、祖母が小さい頃、祖母の叔母が女子医大に通っていて、総のついた三角帽子をかぶって幼い祖母のところに来ると、必ずお土産にお菓子をくれたそうです。
祖母が《ねじりんぼう》と呼んでいたそのお菓子は、ロシア製のチョコレート菓子で、ねじった形のチョコレートの中に、甘いウォッカが入っている、大人の香りがするものでした。
よくあるボンボンは、砂糖をシャらせたものをコーンスターチなどに穴を開けた型に流して、少し周りが固まったところでまだ固まっていない液体を出し、砂糖の型を作ったところにリキュールを流し入れるものが多いのですが、祖母の言うそれは、チョコレートのみの筒状の型の中に、強いウォッカのシロップが入っていたそう。
しかも、太さが人差し指と親指で作った丸ぐらいだったようです。
(そんなの子供が食べて大丈夫なのか?)
それが、ヌガーみたいに紙と銀紙にくるまっていたそうです。
祖母はそれが大好きで、自分でも食べたいとあちこち探したけれど、見つからなかった...
しかし、その後思いがけない場所でそのお菓子に出遭ったのです。
祖母が通信部隊として行っていた中国のカイフウ(開封?)で、その懐かしいボンボンが売っているのを見て、祖母は嬉しくて10本位買ったのだとか。でもものすごく高かったらしいです。
日本に帰ってきて、戦争が終わって、それからそのお菓子は食べていないって言ってました。
今は、どこの国のどんなお菓子だって、家に居ながらオーダーして届けてもらったりすることができるけれど、昔は違いますからね~、それだからこそ好きなものに出逢った時の感動も大きいんだと思います。
やっと手に入れることができた!とか、とうとう好きな人に出逢えた!とか、そういう感じ。
私の姉も、私もどこかでそれを見つけることが出来ないかとあちこち探してはみたのですが、未だに見つけられず。
たぶん輸入品として入って来ないのには原因があると思う。
まず、考えただけで原価が高そう...→売値も高い→手間賃、税その他で日本での売値もさらに高い→商品リストに加えない、みたいな。もしくは、チョコレートのみの型なので、温度管理が必要&けっこう破損がある→輸入商品リストに加えない...なんて感じかも。
もしくは、祖母が食べていた時点で、作っていた人はかなりのおじいちゃんで、亡くなってしまった→その美味しさを再現できる後継の職人がいなかった→やむなく店をたたんだor時代的に、戦争の影響で贅沢品のお菓子が作られなくなった、そんなこんなでもうそのお菓子は存在しないのかも。
技術的にそんなに複雑なお菓子ではないので、私がどうにか同じような形の同じようなお菓子を作ってあげることはできるかも知れない。同じように、紙と銀紙でくるんであげてもいい。
でも、それはしないほうがいいような気がします。
...祖母が、〈おばあちゃん〉ではなく、幼い少女だった頃の思い出が、いっぱい詰まったお菓子だから。

今日は朝から諸事情あって大物洗濯を3回もしなくてはなりませんでした...
物干し竿には白いシーツや布団カバーが気持ち良さそうにはためいています。
明日は雨らしいので、念を送る。 乾け~乾け~
さて、今日は「グランマと失われたボンボン」について。
うちの祖母は現在80とウン歳ですが、まだまだ元気でプールに行ったり編み物教室に行ったり、毎日アナナと遊んだり「鬼平犯科帳」観たり..と楽しく暮らしています。
その祖母に何度か聞いた思い出のお菓子の話。
戦前の話ですが、祖母が小さい頃、祖母の叔母が女子医大に通っていて、総のついた三角帽子をかぶって幼い祖母のところに来ると、必ずお土産にお菓子をくれたそうです。
祖母が《ねじりんぼう》と呼んでいたそのお菓子は、ロシア製のチョコレート菓子で、ねじった形のチョコレートの中に、甘いウォッカが入っている、大人の香りがするものでした。
よくあるボンボンは、砂糖をシャらせたものをコーンスターチなどに穴を開けた型に流して、少し周りが固まったところでまだ固まっていない液体を出し、砂糖の型を作ったところにリキュールを流し入れるものが多いのですが、祖母の言うそれは、チョコレートのみの筒状の型の中に、強いウォッカのシロップが入っていたそう。
しかも、太さが人差し指と親指で作った丸ぐらいだったようです。
(そんなの子供が食べて大丈夫なのか?)
それが、ヌガーみたいに紙と銀紙にくるまっていたそうです。
祖母はそれが大好きで、自分でも食べたいとあちこち探したけれど、見つからなかった...
しかし、その後思いがけない場所でそのお菓子に出遭ったのです。
祖母が通信部隊として行っていた中国のカイフウ(開封?)で、その懐かしいボンボンが売っているのを見て、祖母は嬉しくて10本位買ったのだとか。でもものすごく高かったらしいです。
日本に帰ってきて、戦争が終わって、それからそのお菓子は食べていないって言ってました。
今は、どこの国のどんなお菓子だって、家に居ながらオーダーして届けてもらったりすることができるけれど、昔は違いますからね~、それだからこそ好きなものに出逢った時の感動も大きいんだと思います。
やっと手に入れることができた!とか、とうとう好きな人に出逢えた!とか、そういう感じ。
私の姉も、私もどこかでそれを見つけることが出来ないかとあちこち探してはみたのですが、未だに見つけられず。
たぶん輸入品として入って来ないのには原因があると思う。
まず、考えただけで原価が高そう...→売値も高い→手間賃、税その他で日本での売値もさらに高い→商品リストに加えない、みたいな。もしくは、チョコレートのみの型なので、温度管理が必要&けっこう破損がある→輸入商品リストに加えない...なんて感じかも。
もしくは、祖母が食べていた時点で、作っていた人はかなりのおじいちゃんで、亡くなってしまった→その美味しさを再現できる後継の職人がいなかった→やむなく店をたたんだor時代的に、戦争の影響で贅沢品のお菓子が作られなくなった、そんなこんなでもうそのお菓子は存在しないのかも。
技術的にそんなに複雑なお菓子ではないので、私がどうにか同じような形の同じようなお菓子を作ってあげることはできるかも知れない。同じように、紙と銀紙でくるんであげてもいい。
でも、それはしないほうがいいような気がします。
...祖母が、〈おばあちゃん〉ではなく、幼い少女だった頃の思い出が、いっぱい詰まったお菓子だから。

Posted byレストランPEPINat11:52
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